東京自転車節

今日は川越スカラ座で『東京自転車節』を見てきました。この映画は、コロナ禍により山梨で失業した青柳監督が、自らの奨学金と言う名の債務を返済するため、自転車ひとつで東京に出てUber Eatsで稼ぎまくるというセルフドキュメンタリーです。この映画の画期的なところは、Uber Eatsで働く様子を描写するだけで、今の日本の若者が置かれた現実というものが鮮明に浮かび上がるということだと思います。あえて名付けるとすれば『スマホの下の平等』とでも言えばいいでしょうか。それは、『右翼的ルサンチマン』や『左翼的正義』によっても決して癒やされないような悲惨な平等です。

1980年代

私が仕事を始めたのは80年代のバブル経済絶頂期のころでした。BMW3シリーズが「六本木のカローラ」などと言われ、今とは違った意味で異常な時代でした。しかし、少なくとも会社組織に所属してさえいれば、終身雇用年功序列のシステムは盤石に見えたし、今日より明日が確実によくなると信じることができた時代でもありました。大学生も潤沢な親の仕送りに支えられ、大学は遊ぶところといったイメージが支配的だったように思います。要するに今と比べればみんな信じられないほど余裕があったのです。

2020年代

時は流れ2020年(この映画は2020年の夏頃に撮影されています)、終身雇用も年功序列もすっかり過去のものとなり、スマホという破壊的イノベーションの暴力的な浸透力と、それに伴う人々の急速な窮乏化に抗えず、それでもなおスマホにへばりついて生かされるような状況にあって、奨学金を返すためにUber Eatsで『クエスト』を目指しがむしゃらに東京を疾走する、青柳監督の現在をこの映画は活写しています。まさにリアルドキュメンタリーですね。

まあ、このように書いてしまうと、なんか暗くて悲壮感漂うだけの映画なんじゃないかと思われてしまうかもしれません。しかし、ここからが青柳監督の真骨頂で、基本的にとてもスカッとする楽しい映画なのです。それは、監督ご本人の根っからの明るいキャラクターによるところが大きいと思うのですが、最近見た映画で言うと『ノマドランド』のような過酷な現実に対する乾いた諦念と、それでも力強く生きていこうとする奇妙な明るさが、同時代的に共鳴しているような気がします。そして、そこに共通してあるのは、20世紀的な政治や社会システムに期待したところでほとんど意味がないという静かな認識です。

心はいつも焼け野原

2020年の東京は焼け野原だ

この印象的なフレーズは、劇中に登場する通りすがりのおばあさんの口から発せられる、「1945年の東京は焼け野原だった」という『コール』に対する青柳監督の『レスポンス』だと思います。かつて存在したはずの社会的共通資本が次々と解体されて、個人事業主という名のむき出しの個人として働くしかないUber Eatsの配達員をやりながらも、何度でも「焼け野原」から再生してやるぞ、という力強い意思がそこには込められていると感じました。

上映後には青柳監督本人によるトークショーが開催されました。映画も面白かったのですが、どことなく桜庭和志似の青柳監督の少し甲高い声でのお話がとても楽しくて、あっという間の時間でした。東京から川越はさすがに遠すぎるため、この日は自転車ではなく電車に乗って来られたということでした。

10月から緊急事態宣言が解除されたこともあり、トークショーの後にはサイン会も開催されました。あまり多くは話せませんでしたが、『桐島、部活やめるってよ』で映画部の前田(神木隆之介)に「将来はアカデミー賞ですか?」とインタビューする宏樹(東出昌大)のような心境でサインを書いてもらいました。

青柳監督は今日も東京のどこかで配達をしているかもしれません。そして将来はきっと女優と結婚してアカデミー賞を獲得しているに違いありません。

最後までお読みくださりありがとうございます。


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